
AIで作った画像や動画を、SNSに上げる人が増えました。2年くらい前なら、それだけで目を引いたかもしれません。今はどうかというと、AIで作ったと分かるものを見て喜んでいるのは、投稿している本人だけではないか、と感じることがあります。
一方で、AIが作ったと分かっているのに、面白いと思うものも出てきました。この2つは何が違うのか、考えてみました。
AIに作らせた画像や文章を、そのままSNSに出す。しかも、自分が考えて、自分で書いたような顔をして、「これが最新型ですよ」と言う。私はこういう投稿を見ると、痛々しいと思ってしまいます。
AIを使っていること自体は、どうでもいいんです。「AIで作りました」と書けば済む話で、寒いのは、それを隠して自分の手柄のように見せるところです。
調査にも、近い結果があります。Duke大学の研究では、AIを使った人は怠け者で能力が低いと見られ、使った本人もそれを分かっていて、使ったことを隠したがりました(PsyPostの紹介。職場での評価の実験で、SNSの話ではありません)。コロンビア大学の実験では、見分けのつかない作品でも、「AI製」と表示されただけで、創造性や価値の評価が下がりました(論文)。米国の消費者の約9割が、画像や動画にはAIの表示がほしいと答えています(Fractlの調査)。
こういう投稿は、おっさん世代に多い気がします。
AIで作ったと分かるものは、もう見抜かれていると思います。そして飽きられています。
米国の18〜27歳に聞いた調査では、SNS上のAI生成コンテンツを積極的に嫌う人が41%、本物かどうか分からなくなると警戒する人が31%、面白いと思う人が28%でした(Attest)。みんなが同じようなAIを使えば、似たものが並びます。実際、AIの案を使った短編は、1人ずつの評価は上がるのに、作品同士が似通ってしまった、という実験があります(PsyPostの紹介)。
ただ、見抜けているのは、AIっぽさが強いものだけでしょう。Yale大学の調査では、18〜34歳の多くが「見分けられる」と自信を持っていたのに、顔写真の判別は、正解が半分くらいでした(The Nationの報道)。見抜けないAIの作品は、AIだと気づかれないまま流れていきます。
特に飽きられていると感じるのは、過去に人間が作った作品を、AIで作り直したようなものです。ジブリ風の画像が流行ったときも、賛否が割れました(AFP)。ただ、批判の中心は、画風や著作権の扱いでした。私が飽きているのは、そこではなく、新しい発見が何もないからです。
そうは言っても、AIが作ったと分かっていて、それでも面白いものが、いくつか出てきています。たとえば、歴史を題材にしたAIの動画です。「ああ、こんな切り口があるのか」と思うものがあります。
AIが作ったことは確かです。でも、今までにない感覚を作り出している、という意味では、クリエイティブだと思います。それは、その切り口を考えた人間のクリエイティビティです。
ただ、歴史を扱う場合は、気をつけることがあります。TikTokの歴史動画を調べた研究では、字幕に史実の誤りが目立ち、題材によって、コメントの反応が大きく割れていました。ホロコーストを扱った動画には、憎悪のコメントやデマが、とくに多く集まっています(論文)。切り口が良くても、事実を確かめる責任は、作った人間にあります。
AIは、大量のデータから、それらしい答えを作ります。多くの人が正解と思うものの統計から、出力しているわけです。クリエイティブは、これと逆のことをやらなければならない場面があります。多くの人が成功だと思うことの、逆をいく。みんながいいと言うものを、きれいに作るだけなら、それはもう統計の中にあります。そこから外れて、「これは面白いんじゃないか」と決めるのが、人間の直感だと思っています。この直感は、数字では、なかなか取れません。
AIの作品が、SNSで飽きられるのも、同じ理由だと思います。統計の真ん中にあるものは、見慣れてしまうからです。外れたところに、人間の切り口が置かれていれば、AIで作ったと分かっていても、人は見ます。
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